++Himawari Diary++

2011年03月の日記

その前に皿を引け



今朝のちはるちゃん。


パンとコーヒーを用意して、ちょっとデザートなんぞを用意しようかなと席を立ち、もどったらこんな格好してました。(*^。^*)


だめだと叱る前に、まず写真を撮る飼い主。。どうでしょ。
2011年03月31日(木)   No.120 (Himawariのこと)

必要な分だけ

ようやく余震が少なくなってきました。
体に感じるもの・・・今日はそう言えば1回もなかったような。
それって、あの地震以来はじめてのことかもしれない。

ちはるもソコソコ。。と逃げることがなくなりました。(^^♪


さくちゃんと、仲良くオイルヒーター前で〜。


*********************

震災後初めて車に乗りました。
なんたって、ガソリンがほとんど無くなってきて「そろそろ入れなくちゃ」と思ってる矢先にあの地震。
少し余震が落ち着いてきて、ふと考えたら、「そうだ、ガソリンがなかったんだった・・・(@_@;)」
しかし、巷ではガソリンがない!!!となって、ずっと車に乗れなかった。

今日は、コンビニやスーパーにもちゃんと食品が並んで、ガソリンも満タンにできて、ようやく元にもどってきた感があります。

大量買いとかではなく、必要なもんを必要なだけ・・買いましたよ。♪

皆さんのお宅はいかがでしょうか。
2011年03月27日(日)   No.116 (Himawariのこと)

まだ余震



余震の回数は少なくなってきてるとはいえ・・・。
まだ1日に数回、少し大きめな揺れがあります。
そして2回くらい、携帯の緊急速報がけたたましく鳴ります。


今日もお風呂に入り、湯船に「よいしょ」と腰をおろした途端。
ここが、お風呂の時間の中で最高潮のところだったのに!!
そこに揺れって。。(-_-;)ひどいわぁ。。


揺れの恐怖とともに、このままどうにかなった時に、裸の自分はどうしたらいいのかという・・・また別の恐怖にかられます。

それでも、東北の方々のことを思うと、お風呂に入れるだけ幸せなんだから、こんなことくらい我慢しようと思ったりします。



***************

すっかり、地震の恐怖は忘れたかのようなさくちゃん。(*_*;
ただ、昨日の夜の余震には、ちはると一緒にサササッとお風呂場に逃げ込んでました。(私を置いて・・・)
案外、私が心配するより、安全なとこをちゃんと知ってるのかもしれないと思いました。(-_-;)

2011年03月20日(日)   No.112 (Himawariのこと)

こちらは少しだけ復興


大地震から1週間がたち、いままで止まっていた電車が、走り出しました。

カンカンカンカン・・・・♪
近くの踏み切りが鳴り出して、「!!踏み切りなってるぅ!!」と思わず見に行く私たち・・。(@_@)


「試運転」の電車が駅に入ってきた。
「ぉぉおぉぉ」みんな声をあげる。

「がんばれぇ〜〜」と手を振ると、プォォ〜〜と返事をしてくれた。
その数分後、ようやく震災後初の電車が!!

が・・・。
その数時間後大風の影響で、また電車は止まってしまった。。(ーー;)



ではありますが、復興のきざしがみえてきたところです。
2011年03月17日(木)   No.111 (Himawariのこと)

太平洋沖地震6


我が家で一番の野生はちはるだと思う。

いつも地震がくる前から腰を落としてゴキブリみたいな動きをする。
雷がくるときもそう。

猫や犬は人間の数千倍も耳がいいらしいけど、その中でもちはるの感はより敏感な気がする。
それだけに、怖がり方も人一倍。


地震が起きた金曜日から、ずっとまわりを伺っている。
余震のたびに狭いところへ避難する。。
布団の中だったり、お風呂場だったり。。玄関に座って、誰かが開けたら隙を見て逃げるのでは・・・と思える。
(そんなに私は信用ないんか!!)



今日の夕方になって、ようやく普通に寝てる姿を発見。
そういえば、少し余震の間隔が長くなってきてるな。。

もう、大きな地震はこないかな、ちーちゃん。
今日こそ寝られるか。
2011年03月13日(日)   No.106 (Himawariのこと)

太平洋沖地震5
朝になったら、被害状況がさらにはっきりしてきた。
とてもじゃないが、ここにあぁだこぉだと書けるものではない。
言葉にならない。



義母は宮城の人で、先日も大勢の親戚からお悔やみを頂いたばかり。
しかし、誰一人連絡がとれない。
誰か一人でも連絡がつけば、まわりの方々の状況等もわかると思うのだけど。



福島にも親戚や友人がいるが、まったく安否がわからない。


土曜休みなので、ひっくり返った家具などをかたづけようと思うが、やはりテレビから離れられず、一向に進まず。
1時間に1〜2回くらいの間隔で余震がくる。小さいものもあるけど、「逃げないとまずいかも」と恐怖感をおぼえるものも多い。
これだけ何十回も地震が続くと、いつもの2〜3くらいの震度は慣れてきてしまう気がする。
同時に、揺れてもいないのに揺れてるような感覚になる時もある。
すこしおかしくなってるのかもしれない。

それにしても・・・。東北は地獄だ。
私に何ができるのかと、テレビ見てていいのかと思うけど、立ち上がるとまた余震。。

早く終わって欲しい。。(と、書いてるそばから、また揺れてる)



2011年03月12日(土)   No.105 (Himawariのこと)

太平洋沖地震4
テレビをつけてびっくり。こんなすごいことになってたのか。


津波、土砂崩れ、火災。。
いままでみたこともない惨状が広がっていた。

三陸沖が震源なのに千葉にこんなに揺れがくるんだから、そりゃ震源の近くはすごいことになってるんだろうとは思ってたけど。
こんなにすごいとは思わなかった。


実家とは家電で話ができた。一旦停電などがあったものの落下してくるものはほとんどなく、(建物にもよるかもしれないけど)比較的軽かったらしい。
それでも、恐怖で心臓がバクバクして「ショック死するかと思った」と。

兄は夜になって勤務先から徒歩で帰宅したらしい。
歩ける距離でよかった。帰りたいのに帰れないかなり遠くまで通勤してる人も大勢いるわけだから。よしとしよう。


ももちゃん、布団にもぐって無事だったことがわかった。
やはり、どこの猫も布団に避難するのか。^^;


夜中になっても日が変わっても、余震が続く。しかもかなり大きな地震。
ドアのチェーンをはずし、テレビをつけたまま、電気もそのままで横になる。
いつ危険な状態になっても逃げられるように、靴下を履きジーパンとセーターのまま。。

何度となく大きな地震。携帯の地震速報が4回けたたましくなる。

テレビでは最初の地震の被害状況を説明しているそばで、新しい地震が起きるため情報も錯綜。
もう、日本中でなんかものすごいことになってるんだ。。

「もう、勘弁してくれよ」まったく眠れないまま朝になった。



2011年03月11日(金)   No.103 (Himawariのこと)

太平洋沖地震3

玄関を開けたが、いつもならもうすぐ目の前まで来てる2にゃんがいない。

「ち〜〜!!さく〜〜!!」と大きな声で呼んでみる。
反応なし。

キッチンに入ると、食器棚が開いて中から皿が落ちそれが割れて散々なことになっていた(@_@;)
落ちたところがちょうど猫の食堂あたりで、もしここでその時猫たちが水でも飲んでいようもんなら、そりゃびっくりたまげて逃げただろう。。

和室に入ると、やはりここも棚の扉が開いて中から色んなもんが飛び出していて、さらにそこに上に乗せてあった本などが落下し、もうぐちゃぐちゃ。

寝室を覗くとさくらがチョコンと布団の上に座っていた。
「おぉぉぉ。さくちゃん。無事だったの」となでなで。。
・・・と、布団のふくらみ具合が。。これは!!ガバッとめくるとちはるが隠れていた。(避難か)
よかった。2にゃんとも無事で。(*^。^*)食器なんか割れても、家の中なんか泥棒が入ったみたいだって、どうでもいいもんね。

最後に何気に塾を覗く(@_@;)一番被害が大きかったのはここだったのか。
スチールの棚が倒れ、本がすべて飛び出し、倒れた棚が隣のパソコンラックに直撃、モニターが落ち・・・いやいやひどい。。

しかし、まだ片付ける気が起きない。。だって余震が続いてるし。

そうだ。テレビをつけよう。いったい何かどうなってるんだろう。
2011年03月11日(金)   No.102 (Himawariのこと)

太平洋沖地震2
こうして書いてる間にももうすでに2回余震がきてるから。。


集荷の業者さんの車がやってきて淡々と荷物を回収し始める。

「そうだ。。仕事せねばな。。」
揺れがおさまってる間にやってしまおうと皆で協力して荷造りを始める。
「間違えがないように、声を出してね」
連絡が取れない家族のことを気にしながら、手を震えさせながら・・品名や個数など声に出し、それを他のメンバーと確認しあい作業を進めていく。。皆健気だなぁ。。(;_;)

しかし、携帯ってのはぜんぜん役に立たないじゃないか!!こんな時に使えないなんて。
色んなコ洒落た機能なんかどうでもいいから、こういうところにお金を使ってどうにかしろよ!!と怒るHimawari。。
携帯がダメなら有線で。。と会社の電話から携帯にかけると繋がる確立が高いことがわかる。
そうして皆が少しずつ家族と連絡が取れだした。


「うちの猫たちどうしてるかなぁ。。」っていうか、マンション自体大丈夫なんだろうか。崩壊してないか。
猫じゃ電話してもだめだし。(;_;)


一人だけどうしても連絡が取れないパートさんを早く帰し、残ったメンバーで仕事を終わらせることにする。
「早く終わらせてみんな家に帰ろう!!」家や家族が気になり、帰りたいのは山々だけど、電車はすべて止まっているし、とりあえず安否だけは確認できたから。。


歩きの人、自転車の人、車に相乗りして・・・など方法は様々だけどとりあえず皆無事に帰宅する(・・らしい。夜社長からそんな電話を頂いた^^;)


家に戻ったHimawariがみた驚きの!!部屋!!(@_@;)
2011年03月11日(金)   No.101 (Himawariのこと)

太平洋沖地震
皆さん、ご無事でしょうか。ご家族や友人の安否は確認できたでしょうか。



たぶん生まれてはじめて、こんな大きな地震を体験しています(現在進行形・・)
昨日の午後2:46最初の地震発生。。仕事中だったので4人の仲間と右往左往。。
配送というところはダンボールが山になっていてその谷間で仕事してるようなもんなので、まず安全を確保せねば・・。
この場合外に出たほうがいいのか、少ししたらおさまるのではないか・・。
もう少しじっとしていた方がいいのでは・・。
などと考えてるうちに、揺れはドンドンひどくなる。。

こりゃあかん。。
皆と一緒に配送側の出入り口(裏口)から避難。
立ってられずに金網にしがみつく人、抱き合う人、座り込む人。。
目の前の駅にもちょうど電車が来る時刻だったのか数人待ってる人がいたが、皆どうしたらいいのかオロオロしていた。


Himawariはとりあえず「だいじょうぶ、、だ、大丈夫だよ。。」と皆を励ましてるのか自分に言い聞かせてるのか。
配送チーム以外の人たちは皆表玄関から出て、目の前の広い通りに避難していた。
あっちへ行きたい。。こんな狭いところじゃ、上から何か降ってくるかもしれない。いやいや、この建物だって倒れるかもしれない。。

そうしてるうちに、ヘルメットを持ってきてくれる先輩がいて、「あぁ。。そうか、こういう時に使うんだよな、このヘルメット」。。(-_-;)
いつも、邪魔だなぁと思っていたんだった。(すみません)

壁の目地らしきものがばらばら・・と振ってくる・・が、そう多いわけではなく体に当たるほどでもない。
ただ揺れが長くて、皆がパニックになってるから余計恐怖が増す。


揺れがおさまったようなので、一旦中に入り皆家族と連絡を取ろうと携帯を握る・・・。みんな手が震えてるのがわかる。
しかし、携帯もネットもつながらず。

そうしてる間にも余震が続き、そのたびどうしたらいいやらオロオロ。。

「そうだ、先日倉庫として借りた部屋にテレビを置いてもらったんだった!!」と思い出し2階へあがりニュースを見て「三陸沖が震源のM7(のちに8.8と訂正される)の大地震」だと知る。


もうこれ以上大きな揺れはないだろう。。と仕事に戻った矢先。。もっと大きいのではと思う揺れを感じた。(これは茨城沖震源)
ふたたび皆で外に避難。さすがにこの時は大通りに皆で移動。他チームの人たちと合流した。通りは人であふれかえっていた。
(この震度は6だったとあとで知る。6より上は体験したことがない)

余震は相変わらず続き、「あぁ。。もう日本列島は終わりなのかなぁ」とHimawariがつぶやくと、ちょっとだけ笑いが起きる。(*_*;

2011年03月11日(金)   No.100 (Himawariのこと)

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2011年03月31日(木)
その前に皿を引け
2011年03月27日(日)
必要な分だけ
2011年03月20日(日)
まだ余震
2011年03月17日(木)
こちらは少しだけ復興
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