++Himawari Diary++

2011年03月11日の日記

太平洋沖地震4
テレビをつけてびっくり。こんなすごいことになってたのか。


津波、土砂崩れ、火災。。
いままでみたこともない惨状が広がっていた。

三陸沖が震源なのに千葉にこんなに揺れがくるんだから、そりゃ震源の近くはすごいことになってるんだろうとは思ってたけど。
こんなにすごいとは思わなかった。


実家とは家電で話ができた。一旦停電などがあったものの落下してくるものはほとんどなく、(建物にもよるかもしれないけど)比較的軽かったらしい。
それでも、恐怖で心臓がバクバクして「ショック死するかと思った」と。

兄は夜になって勤務先から徒歩で帰宅したらしい。
歩ける距離でよかった。帰りたいのに帰れないかなり遠くまで通勤してる人も大勢いるわけだから。よしとしよう。


ももちゃん、布団にもぐって無事だったことがわかった。
やはり、どこの猫も布団に避難するのか。^^;


夜中になっても日が変わっても、余震が続く。しかもかなり大きな地震。
ドアのチェーンをはずし、テレビをつけたまま、電気もそのままで横になる。
いつ危険な状態になっても逃げられるように、靴下を履きジーパンとセーターのまま。。

何度となく大きな地震。携帯の地震速報が4回けたたましくなる。

テレビでは最初の地震の被害状況を説明しているそばで、新しい地震が起きるため情報も錯綜。
もう、日本中でなんかものすごいことになってるんだ。。

「もう、勘弁してくれよ」まったく眠れないまま朝になった。



2011年03月11日(金)   No.103 (Himawariのこと)

太平洋沖地震3

玄関を開けたが、いつもならもうすぐ目の前まで来てる2にゃんがいない。

「ち〜〜!!さく〜〜!!」と大きな声で呼んでみる。
反応なし。

キッチンに入ると、食器棚が開いて中から皿が落ちそれが割れて散々なことになっていた(@_@;)
落ちたところがちょうど猫の食堂あたりで、もしここでその時猫たちが水でも飲んでいようもんなら、そりゃびっくりたまげて逃げただろう。。

和室に入ると、やはりここも棚の扉が開いて中から色んなもんが飛び出していて、さらにそこに上に乗せてあった本などが落下し、もうぐちゃぐちゃ。

寝室を覗くとさくらがチョコンと布団の上に座っていた。
「おぉぉぉ。さくちゃん。無事だったの」となでなで。。
・・・と、布団のふくらみ具合が。。これは!!ガバッとめくるとちはるが隠れていた。(避難か)
よかった。2にゃんとも無事で。(*^。^*)食器なんか割れても、家の中なんか泥棒が入ったみたいだって、どうでもいいもんね。

最後に何気に塾を覗く(@_@;)一番被害が大きかったのはここだったのか。
スチールの棚が倒れ、本がすべて飛び出し、倒れた棚が隣のパソコンラックに直撃、モニターが落ち・・・いやいやひどい。。

しかし、まだ片付ける気が起きない。。だって余震が続いてるし。

そうだ。テレビをつけよう。いったい何かどうなってるんだろう。
2011年03月11日(金)   No.102 (Himawariのこと)

太平洋沖地震2
こうして書いてる間にももうすでに2回余震がきてるから。。


集荷の業者さんの車がやってきて淡々と荷物を回収し始める。

「そうだ。。仕事せねばな。。」
揺れがおさまってる間にやってしまおうと皆で協力して荷造りを始める。
「間違えがないように、声を出してね」
連絡が取れない家族のことを気にしながら、手を震えさせながら・・品名や個数など声に出し、それを他のメンバーと確認しあい作業を進めていく。。皆健気だなぁ。。(;_;)

しかし、携帯ってのはぜんぜん役に立たないじゃないか!!こんな時に使えないなんて。
色んなコ洒落た機能なんかどうでもいいから、こういうところにお金を使ってどうにかしろよ!!と怒るHimawari。。
携帯がダメなら有線で。。と会社の電話から携帯にかけると繋がる確立が高いことがわかる。
そうして皆が少しずつ家族と連絡が取れだした。


「うちの猫たちどうしてるかなぁ。。」っていうか、マンション自体大丈夫なんだろうか。崩壊してないか。
猫じゃ電話してもだめだし。(;_;)


一人だけどうしても連絡が取れないパートさんを早く帰し、残ったメンバーで仕事を終わらせることにする。
「早く終わらせてみんな家に帰ろう!!」家や家族が気になり、帰りたいのは山々だけど、電車はすべて止まっているし、とりあえず安否だけは確認できたから。。


歩きの人、自転車の人、車に相乗りして・・・など方法は様々だけどとりあえず皆無事に帰宅する(・・らしい。夜社長からそんな電話を頂いた^^;)


家に戻ったHimawariがみた驚きの!!部屋!!(@_@;)
2011年03月11日(金)   No.101 (Himawariのこと)

太平洋沖地震
皆さん、ご無事でしょうか。ご家族や友人の安否は確認できたでしょうか。



たぶん生まれてはじめて、こんな大きな地震を体験しています(現在進行形・・)
昨日の午後2:46最初の地震発生。。仕事中だったので4人の仲間と右往左往。。
配送というところはダンボールが山になっていてその谷間で仕事してるようなもんなので、まず安全を確保せねば・・。
この場合外に出たほうがいいのか、少ししたらおさまるのではないか・・。
もう少しじっとしていた方がいいのでは・・。
などと考えてるうちに、揺れはドンドンひどくなる。。

こりゃあかん。。
皆と一緒に配送側の出入り口(裏口)から避難。
立ってられずに金網にしがみつく人、抱き合う人、座り込む人。。
目の前の駅にもちょうど電車が来る時刻だったのか数人待ってる人がいたが、皆どうしたらいいのかオロオロしていた。


Himawariはとりあえず「だいじょうぶ、、だ、大丈夫だよ。。」と皆を励ましてるのか自分に言い聞かせてるのか。
配送チーム以外の人たちは皆表玄関から出て、目の前の広い通りに避難していた。
あっちへ行きたい。。こんな狭いところじゃ、上から何か降ってくるかもしれない。いやいや、この建物だって倒れるかもしれない。。

そうしてるうちに、ヘルメットを持ってきてくれる先輩がいて、「あぁ。。そうか、こういう時に使うんだよな、このヘルメット」。。(-_-;)
いつも、邪魔だなぁと思っていたんだった。(すみません)

壁の目地らしきものがばらばら・・と振ってくる・・が、そう多いわけではなく体に当たるほどでもない。
ただ揺れが長くて、皆がパニックになってるから余計恐怖が増す。


揺れがおさまったようなので、一旦中に入り皆家族と連絡を取ろうと携帯を握る・・・。みんな手が震えてるのがわかる。
しかし、携帯もネットもつながらず。

そうしてる間にも余震が続き、そのたびどうしたらいいやらオロオロ。。

「そうだ、先日倉庫として借りた部屋にテレビを置いてもらったんだった!!」と思い出し2階へあがりニュースを見て「三陸沖が震源のM7(のちに8.8と訂正される)の大地震」だと知る。


もうこれ以上大きな揺れはないだろう。。と仕事に戻った矢先。。もっと大きいのではと思う揺れを感じた。(これは茨城沖震源)
ふたたび皆で外に避難。さすがにこの時は大通りに皆で移動。他チームの人たちと合流した。通りは人であふれかえっていた。
(この震度は6だったとあとで知る。6より上は体験したことがない)

余震は相変わらず続き、「あぁ。。もう日本列島は終わりなのかなぁ」とHimawariがつぶやくと、ちょっとだけ笑いが起きる。(*_*;

2011年03月11日(金)   No.100 (Himawariのこと)

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